「もの」を大切にすること

標準

今日も目覚まし時計を4個かけて、ようやく目が覚めました。
目覚まし時計のスヌーズ機能のおかげで、目覚まし時計を停めてからもう一度寝てしまい、そのまま起きずに遅刻ということはなくなったと思うのですが、「スヌーズ機能があるから大丈夫」という妙な安心感につながり、かえってすっきりとした目覚めからは遠ざかっているような気がします。

今日もそんな、泥沼の中から這い出るかのように起きてテレビを点けると、泥まみれの体に冷水を浴びせられるような衝撃的なニュースが飛び込んできました。なんと、フランスのパリの中心部にあるノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生したというのです。

私は、パリには行ったことがありません。けれども、10年ほど前に、とある縁で、フランスのパフォーマーの方たちと芝居をしたことがあります。その方たちは、ジュヌビリエというところの方たちなので、今パリにいるのかは分かりませんが、きっと心を痛めているであろうことは想像に難くありません。日本人で言うと、金閣寺や銀閣寺などのシンボル的なものが被害にあうということだし、それに、宗教的にもその建物への敬意や畏怖の念をもっていることでしょう。

今、我が家では断捨離に励んでいるところで、ものはいつまでもあるものではないという前提で動いています。ものよりも、経験を大切にして、思い出はものではなくて体の中に蓄積するという発想です。けれども、こういったニュースを見ると、その思想について揺らぐのを感じます。歴史的な建物という「もの」が被害を受けることに衝撃を受けるし、そのことで心を痛める人も大勢います。そのことを思うと、ものに対する思いも大切だし、尊いのではないかと感じるのです。

このニュースは、思わぬ考えるきっかけを与えてくれました。

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